言葉は人に命を与え命をも奪う


さて、昨今の現象から私の感じることを徒然なるままに書いてみます。
春くらいのことだったか、SNSでの言葉の使い方が非常に重要になってきていると、
ふと感じたことがありました。
最近、有名な俳優さんが亡くなりましたが、それを受けて、
自分の体験をもとに言葉の使い方について、感じていることを書いてみます。


私自身、言葉の使い方について、幼い頃から小学生の間に
バッシングを受けたことがあります。

誰がバッシングをするのか、という話ですが、
それは、私の父や近所に住む友達、学校の仲間でした。

私は幼い頃から繊細なところがあり、人の気持ちを感じる反面
自分の思っていることを言葉にするときに、
鋭い口調になっていることがしばしばありました。

そのため
父に怒られることや
近所の年上の友達に急に嫌みを言われたこと
学校の仲間が急に離れていったことが
結果として自分に降りかかってきました。

子どもの頃は、それがなぜ起こっているのか、もちろん分かりませんでした。

しかし大人になって、自分の過去をじっくり見直していったときに
父や友人がとった態度は、自分が使っていた言葉に
多くの原因があることがわかりました。

言葉というのは、
人に痛みを与えることもあれば
痛みを激減させる力も持っています。

痛みを与えたのであれば
きっと自分に痛みが返ってくるでしょう。

私は自分に返ってきた痛みを通して
それらを見直すことによって、言葉の使い方をさらに気をつけるようになりました。

私たちは言葉を自由に使うことができますが
大切なのは、それをどのように使うかであるかと思います。

言葉というのは、非常に大きな力を宿しています。
言葉を投げかけたときに、その言葉が相手にどのように届くのか。

そして、言葉が届いたところから
相手がその言葉にどのように反応していくのか。

その言葉から
人は天にも昇る気持ちにもなることもあれば、
地獄に落ちる気持ちにもなることさえあります。


誰かの言葉により
身体から重い気持ちが解き放たれるのか
重い気持ちをさらに作り続けてしまうのか。


言葉は、時として
鋭利な刃物になってしまうこともありますから

今後ソーシャルネットワークサービスの中でも
言葉の使い方が、非常に重要になってくる、
と私は思っています。




 

LINE@にて不定期ながらメッセージを配信しています♪
気軽に友達追加してみてください☆彡
こちらは情報をお届けするものなので、トークでの直接のやり取りはできません。

2020年07月24日